Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
本日も素晴らしいです。ありがとうございます。
いつも貴重な映像ありがとうございます。寒い中探索お疲れさまでした😄
1921年に来日した駐日フランス大使ポール・クローデル、詩人だった彼は、皇居の周りを散歩する習慣があり、夕方の九段坂から眺めた風景も詩に読んでいます。「‥足下には大都、また灯火明滅する夕暮れのなか、おぼつかなくもうごめく大衆あり‥」「ポール・クローデル詩集」) 坂が改修される前でしょうか、大きな建物もなかった頃ですから、坂上からは、当時の東京が一望できたようです。
自分は専大の神田校舎通いだったので毎日都営新宿線の九段下で下りていました。いつもこの映像の景色を見ていたので懐かしく思いました。授業の合間には北の丸公園の芝生で寝っ転がったり、神田の古本屋街を散策したり、今思うとすごく恵まれた環境だったように思います。
友人が結婚式を行った九段会館が建て替えられた姿をこの動画で初めて見ました。歌舞伎座、第一生命、中央郵便局みたいな施工ですね。都電が勾配を緩和するために濠端に別ルートを通すのは四谷見附、赤坂見附間も同様でした。
九段坂を神保町に抜ける、ゆったりとした雰囲気が好きです。靖国神社に行く際には、ぜひ遊就館にも寄って下さい。例え10代の学生であっても、日本人なら感ずるものに巡り会えます。😉😉😉
高校の卒業式を両国にあった旧国技館の日大講堂で行った後の謝恩会が九段会館でした。そのことを父親に話したら元軍人だったためすぐ軍人会館だなと返ってきました。
亡き父は友人(陸軍中将の末息子)の結婚披露宴に呼ばれて九段会館(舊軍人會館)に行ったら、出席者の中に東條英機未亡人が居たそうだ。
九段坂、「東京だよおっ母さん」島倉千代子さんの歌声が懐かしいですね。靖国神社が誰にも違和感なく受け入れられていたのはまだ敗戦が身近な時代だったからでしょうか。東京見物で必ず訪れた坂だと思いますが、今は千鳥ヶ淵戦没者墓苑 無名戦士の墓の方が桜満開の頃も静かで平和の尊さを感じます。大きな広い坂道は 運転未熟な田舎者には拡がる景色で一息つける いい道でした。
「東京だよおっ母さん」は二番の歌詞が不適切との事でバスガイドさんも触れないようですね。靖国神社を想起させるという点が不適切との事。去年の3月、千鳥ヶ淵から靖国通りに出たら丁度、靖国の前に、はとバスが信号待ちで停車していました。「東京だよ、おっ母さん」に関しては言葉狩りじゃないかと思います。
オダキュウTIMEさんのチャンネルの魅力は、思わず「ほお~っ」と唸らせる情報だと思いますが、それに負けず劣らず、動画内で流れる音楽も魅力のひとつだと感じています。著作権フリーの音楽素材をバックに流していると思うのですが、毎回、お題に非常にマッチした音楽が流れます。「この映像に合う音楽はどれだろう??? 」と毎回、セレクトに苦慮していらっしゃる編集風景が浮かんできます。とにかく、いつも後ろに流れる音楽がベスト・チョイスなんです。音楽なんて適当でいいと考える方もいらっしゃるでしょうが、バックミュージックは効果音のひとつとして本当に重要だと思います。これからも感動的な動画の制作をお願いいたします。今回の音楽のチョイスも絶妙でした。
今も昔も崇高さが感じられる場所ですね。ニコライ堂の緑錆の屋根に100年の歴史が感じられます。余談ですが、私が初めて日本武道館に行ったのは、1975年、英国のロックバンド「クィーン」のライブでした。
東日本大震災でホールの天井崩落事故が起きてからそのまま閉館になってしまった九段会館。でもそこからの再開発が素晴らしかった。外壁だけではなくエントランスホールや階段など使えるものはなるべく当時のものを使ってリニューアル。たまに行くが昔の雰囲気が残っていて懐かしい気持ちになる。
昔の風景は味わいと潤いがありますね。
無機質なコンクリ巨大ビルの建つ現代より良い都市でした。
数年前まで毎年みたま祭行ってました。歴史あるんですねぇ。
爆風スランプの歌「大きなたまねぎの下で」九段下を知りました😊♪九段下の駅を降りて坂道を~~♪
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! ✌
ちょっと見てない間に小田急からオダキュウに変わってた!ビルがない千代田区が新鮮です。
学生時代に飯田橋あたりから九段坂を歩いてお茶の水まで行った記憶があります😅 途中にあった軍人会館に入って内部をみました。古い建物そのものですが威厳ある物でしたね。後年になって、渡辺淳一の「光と影」という作品のなかで軍人会館が一部舞台になっていたので当時のことを思い出していました😊
九段会館も随分と変貌を遂げましたね。良くアニメのイベントや、シンシアのコンサートなんかに出かけたもんです。
今以上の急坂だった?今でもきつくて市ヶ谷方面からヨボヨボ登ってるのに昔の人は足腰強かったんですね。
今晩は東京九段下駅
千鳥ヶ淵に敷設された専用軌道、元々は1906年に開通した東京市街鉄道の九段線が前身のようです。九段下から半蔵門を経て新宿へ向かう路線だったようです。1930年に関東大震災の復興事業として内堀通りが開通。戦後は都電10系統(渋谷駅~須田町)が通っていたようですが、1964年の東京オリンピック開催に伴う道路整備で廃止され、今は緑道となっているようですね。。。※こちらもグーグルで調べたあやふやな資料なので間違っていたらゴメンナサイ(´・ω・`)
千鳥ヶ淵ではなく、牛ヶ渕かなと。田安門から上が千鳥ヶ淵ですね。有名な歌を書いたサンプラザ中野くんも間違えてたって言ってましたね。
4:36 鳥居の前にあるお屋敷はなんでしょうか?
偕行社の建物です。
靖国神社の落書きが消えて良かったです😊九段坂の下だから「九段下」なんですね😮九段会館が東日本大震災でなくなったのは残念😢
千代田区長選挙、盛り上がっていますね! 江戸城天守閣は再建できそうでしょうか?
今の街並みが最終形態なのかな?今生きてる人類が総入れ替えした後はどんな東京になってるのか楽しみだ。。。
あゝ 現役時代のしごとのテリトリー。さらば。
ビルが無いせいか、鳥居が超巨大に見える!
本日も素晴らしいです。ありがとうございます。
いつも貴重な映像ありがとうございます。
寒い中探索お疲れさまでした😄
1921年に来日した駐日フランス大使ポール・クローデル、詩人だった彼は、皇居の周りを
散歩する習慣があり、夕方の九段坂から眺めた風景も詩に読んでいます。「‥足下には大
都、また灯火明滅する夕暮れのなか、おぼつかなくもうごめく大衆あり‥」「ポール・ク
ローデル詩集」) 坂が改修される前でしょうか、大きな建物もなかった頃ですから、坂
上からは、当時の東京が一望できたようです。
自分は専大の神田校舎通いだったので毎日都営新宿線の九段下で下りていました。いつもこの映像の景色を見ていたので懐かしく思いました。授業の合間には北の丸公園の芝生で寝っ転がったり、神田の古本屋街を散策したり、今思うとすごく恵まれた環境だったように思います。
友人が結婚式を行った九段会館が建て替えられた姿をこの動画で初めて見ました。歌舞伎座、第一生命、中央郵便局みたいな施工ですね。
都電が勾配を緩和するために濠端に別ルートを通すのは四谷見附、赤坂見附間も同様でした。
九段坂を神保町に抜ける、ゆったりとした雰囲気が好きです。
靖国神社に行く際には、ぜひ遊就館にも寄って下さい。
例え10代の学生であっても、日本人なら感ずるものに巡り会えます。😉😉😉
高校の卒業式を両国にあった旧国技館の日大講堂で行った後の謝恩会が九段会館でした。そのことを父親に話したら元軍人だったためすぐ軍人会館だなと返ってきました。
亡き父は友人(陸軍中将の末息子)の結婚披露宴に呼ばれて九段会館(舊軍人會館)に行ったら、出席者の中に東條英機未亡人が居たそうだ。
九段坂、「東京だよおっ母さん」島倉千代子さんの歌声が懐かしいですね。
靖国神社が誰にも違和感なく受け入れられていたのはまだ敗戦が身近な時代だった
からでしょうか。
東京見物で必ず訪れた坂だと思いますが、今は千鳥ヶ淵戦没者墓苑 無名戦士の墓
の方が桜満開の頃も静かで平和の尊さを感じます。
大きな広い坂道は 運転未熟な田舎者には拡がる景色で一息つける いい道でした。
「東京だよおっ母さん」は二番の歌詞が不適切との事でバスガイドさんも触れないようですね。靖国神社を想起させるという点が不適切との事。去年の3月、千鳥ヶ淵から靖国通りに出たら丁度、靖国の前に、はとバスが信号待ちで停車していました。「東京だよ、おっ母さん」に関しては言葉狩りじゃないかと思います。
オダキュウTIMEさんのチャンネルの魅力は、思わず「ほお~っ」と唸らせる情報だと思いますが、それに負けず劣らず、動画内で流れる音楽も魅力のひとつだと感じています。
著作権フリーの音楽素材をバックに流していると思うのですが、毎回、お題に非常にマッチした音楽が流れます。
「この映像に合う音楽はどれだろう??? 」と毎回、セレクトに苦慮していらっしゃる編集風景が浮かんできます。
とにかく、いつも後ろに流れる音楽がベスト・チョイスなんです。
音楽なんて適当でいいと考える方もいらっしゃるでしょうが、バックミュージックは効果音のひとつとして本当に重要だと思います。
これからも感動的な動画の制作をお願いいたします。今回の音楽のチョイスも絶妙でした。
今も昔も崇高さが感じられる場所ですね。ニコライ堂の緑錆の屋根に100年の歴史が感じられます。余談ですが、私が初めて日本武道館に行ったのは、1975年、英国のロックバンド「クィーン」のライブでした。
東日本大震災でホールの天井崩落事故が起きてからそのまま閉館になってしまった九段会館。
でもそこからの再開発が素晴らしかった。
外壁だけではなくエントランスホールや階段など使えるものはなるべく当時のものを使ってリニューアル。
たまに行くが昔の雰囲気が残っていて懐かしい気持ちになる。
昔の風景は味わいと潤いがありますね。
無機質なコンクリ巨大ビルの建つ現代より良い都市でした。
数年前まで毎年みたま祭行ってました。歴史あるんですねぇ。
爆風スランプの歌
「大きなたまねぎの下で」九段下を知りました😊♪九段下の駅を降りて坂道を~~♪
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! ✌
ちょっと見てない間に小田急からオダキュウに変わってた!
ビルがない千代田区が新鮮です。
学生時代に飯田橋あたりから九段坂を歩いてお茶の水まで行った記憶があります😅 途中にあった軍人会館に入って内部をみました。古い建物そのものですが威厳ある物でしたね。
後年になって、渡辺淳一の「光と影」という作品のなかで軍人会館が一部舞台になっていたので当時のことを思い出していました😊
九段会館も随分と変貌を遂げましたね。良くアニメのイベントや、シンシアのコンサートなんかに出かけたもんです。
今以上の急坂だった?今でもきつくて市ヶ谷方面からヨボヨボ登ってるのに昔の人は足腰強かったんですね。
今晩は東京九段下駅
千鳥ヶ淵に敷設された専用軌道、元々は1906年に開通した東京市街鉄道の九段線が前身のようです。
九段下から半蔵門を経て新宿へ向かう路線だったようです。
1930年に関東大震災の復興事業として内堀通りが開通。戦後は都電10系統(渋谷駅~須田町)が通っていたようですが、
1964年の東京オリンピック開催に伴う道路整備で廃止され、今は緑道となっているようですね。。。
※こちらもグーグルで調べたあやふやな資料なので間違っていたらゴメンナサイ(´・ω・`)
千鳥ヶ淵ではなく、牛ヶ渕かなと。田安門から上が千鳥ヶ淵ですね。有名な歌を書いたサンプラザ中野くんも間違えてたって言ってましたね。
4:36 鳥居の前にあるお屋敷はなんでしょうか?
偕行社の建物です。
靖国神社の落書きが消えて良かったです😊
九段坂の下だから「九段下」なんですね😮
九段会館が東日本大震災でなくなったのは残念😢
千代田区長選挙、盛り上がっていますね! 江戸城天守閣は再建できそうでしょうか?
今の街並みが最終形態なのかな?今生きてる人類が総入れ替えした後はどんな東京になってるのか楽しみだ。。。
あゝ 現役時代のしごとのテリトリー。
さらば。
ビルが無いせいか、鳥居が超巨大に見える!